+αの旅 ~①メキシコ・海がめ保護ボランティア~
の続きです
さて、やっとボランティアの滞在場所、やしの木ハウスに到着しました。
参加している若者は全員で13名
イギリス・ドイツ・イタリア・ギリシャ・フランス・ポーランド・スイス・日本と国際色豊かです。
着いてから3日くらいは、まったく仕事の指示が分かりませんでした

集合場所とか、持ち物とか聞き取れなくて、地元の子供達と遊んでいて、気づいたら小屋に誰もいなかったり・・・笑
子供とすぐ仲良くなった~
数日したら、『トモコ行くよ~!』。っと声をかけてくれる人が現れたりで、徐々に慣れていきました。
それでも、英語もスペイン語もままならない私は、当時、朝ごはんタイムが怖かったです。

なぜって、会話ができないから。
こんな感じで皆でご飯をたべます。これはちょっと慣れてきた頃。
一番右にいるのが、ポーランド人のマグダリナ、ニックネームはマグダ。
彼女はまったくお肉を食べません。その理由が、動物を愛しているし、動物は殺されてしまうときに’死にたくない!’という脳内物質をだして、それを食べる人にも影響がある、といっていました。こういう話、よく聞きますね。
さて、
そのボランティアには、ドイツから来ていて、やはり英語もスペイン語もあまりできない女の子がいました。
その子は、なんと、数日で移動してしまいました。
日本人は特有な、『諦めない・忍耐』という真面目さ(良くも悪くも)があるけど、外人はあまり我慢して過ごす、ということをしません。(良くも悪くも・笑)
私も、このような考えを肌で感じてきたので、今は物によって’我慢する’ということができなくなってしまいました・笑

本当に必要だったり、辛くてもそれを感じさせないほど夢中になったものに関しては我慢と感じないので自然と長続きしたりしますけどね~
その、ドイツ人の女の子のこと、私は気持ちが分かります。仲間と会話ができないって本当に苦痛です。
相手も、何を話していいか分からないと思うから。
周りのメンバーも私も出て行ってしまわないか心配していました。
’トモコは行かないよね!’って声をかけてくれるメンバーが徐々に増えていったのです。
たぶん、2週間~3週間はすごくつらかったです・笑
このボランティアには2ヶ月位滞在していましたが、
途中から、なんだかとっても楽しくなっていきました。
言葉、というより
’心で会話’ができるようになったのだと思います。
1ヶ月以上生活を共にすると、メンバーの人間性が分かってきます。
分からない単語があったら、分かっていないんだな、と察知してくれたり
分からないと自分から言えるようになると、もっと簡単な表現で話しかけたりしてくれるようになったのです。
最後のほうは、スペイン語までなんとなく理解できるようになりました。
不思議ですね~~!
すごく印象に残っていることがあります。
ある時、朝ごはんでみんなでテーブルに座っているとき、誰かが、スペイン語で’お塩とって~’って、言ったのですが、私は意味が分かってそのメンバーに塩を取って渡してあげました。
みんな
・・・・・!?
’トモコ~~~~!スペイン語がわかったの~~~!!’ってなぜか、大喜び
こんな風に、場を共有していると、語学に対する想像力やメンバーの人間性から、会話ができるようになります。
世界中を旅している私の友人が言った言葉で、大変印象深い一言があります。
’語学を習得するのは、どれだけその国と人々に心を開くかによる’
これ、本当にそうで、積極的に心を開いていくと本当に語学の習得は早いです。
どんどん、聴く、しゃべる。国に、人々に心を開いて飛び込んでいく。
子供も、きっとそうなんだな~と思います。
さて、そんな感じで楽しくなってきたのですが、肝心のボランティア!
何をしていたかというと・・・
海ガメの保護で、このメキシコのミチョアカン州では海ガメが絶滅に瀕していました。
なぜかというと、海が汚れてゴミも多く、海の中には透明のビニール袋がたくさん漂っているのです。
海ガメはクラゲが大好物!!
海の中ではビニール袋がクラゲに見えてしまうのです・・・
そして、たくさんの海ガメがビニール袋を食べてしまい、悲しいことになっているのです。
また、メキシコでは海がめの卵が市場でも売られています。
卵を掘り返して、市場で売る人々がいるのです。
また、亀の甲羅目当てで海がめを殺す人々もいます。現在はこれは違法です。
私は、動物は武器を持った人間よりも弱いと思っています。
人間が共存させてもらっている地球で、人間はたくさんの動物の命を簡単に奪えます。
武器を持たなかったら、人間は非常に弱いです。動物より生き抜く力は弱いです。
しかし、武器を持っている人間は強いと勘違いしている。
だから、動物を傷つける人間がいる中で、人間が動物を保護しなくてはならないと思います。
私は、お肉も食べますし、革製品も使います。
なので、矛盾することもありますが、命の犠牲の上に自分の命が生かされていることに
感謝しています。
・・・さて、そういう背景がある中でボランティアが必要とされています。
このボランティアはミチョアカン州の大学と提携しているボランティアで、現地の大学生と助手の人が滞在していました。彼らから、この海ガメの生態や、どういう理由でボランティアが必要なのかという話を聴きました。
仕事は夜中夜の8時頃から3時頃までです。
■ワークの内容は・・・
①亀の産卵中に卵を採取する
海ガメはとても繊細なので、近づくときに音を立てたり、産卵中、なるべく懐中電灯は点けてはいけないのがルール。なので、産卵中、涙を流しているかはみれませんでした
卵はメンバー全員で一晩で大体100個~200個くらい集まります。
最終はスーパーの袋、1人2袋くらい。これが結構重い!
毎晩、メンバーと2人で組んで作業をするのですが、月が出ていない日は本当に暗いので亀を見つけるのが非常にに難しいです。
ある晩、私はイギリス人のトビーと組んだのですが、その日は月が出ていなくて、周りがまったく見えませんでした。
薄暗い中、亀らしい黒い塊を見つけて、二人でホフク前進でこっそり近づきました。
『トビー』 トモコ、静かにね
『私』 ハイ!

・・・・しーーーーん。
『私』 トビー、どう?卵生んでる??
『トビー』 うーん、動いてないねぇ~~~~?呼吸もしてないかも?!

・・・・・しーーーーん。
『私』 ちょっと、懐中電灯点けてみて
で、ライトをつけたら・・・・・
岩だった~~~~笑

二人で夜中に浜辺で笑い転げました。
真剣に岩に向かってホフク前進していた、怪しい外人2人を想像すると本当に笑えた~~~~
トビーは本当に面白い人で、普段も面白いジョークで皆を笑わせていました。もしかしたらこの日も、わざとやったのかも??と今でも、謎です・笑
②卵を<卵畑>に埋める
採取した卵を20個づつくらい・ひとつの穴に埋めます。
これが通称『卵畑』
一つ一つの穴には網を張っていて、卵が孵化して、砂の上に赤ちゃんが出てきても、ちゃんと数が数えられるようになっています。
卵が盗まれたり、犬に食べられないように夜中~朝は交代でボランティアのメンバーが常駐します。
③卵が孵化する
埋めてから大体55日くらいで海ガメの赤ちゃんは砂の上に自分で這い上がってきます。
そして、いっせいに海のほうに歩き出す、もしくはランプの光に向かって歩いてくるので、その亀たちを集めておきます。
ランプに集まってきた赤ちゃんはこの桶に入る仕組み^^
基本満月の日

が一番多いし、それが自然の形なのですが、満月でない日

にも生まれてくる赤ちゃんも多いです。
④生まれてきた赤ちゃんの種類と数を記録に残す。
亀はネグロとコルフィーナという2種類の亀が生まれてくるのですが、赤ちゃん自体が見た目で違うので簡単に見分けがつきます。
その数を記録する。
また、死んでしまっている赤ちゃんなども、記録します。
⑤赤ちゃんを海へ放流する
いやぁ~これがとても感動的!!
浜に赤ちゃんを放すのだけど、ちゃんと海のほうに向かって自分で歩いていくのです!
満月の光に向かって進んでいくって、現地の人は言っていたけど、新月の日でもちゃんと海に向かって歩き出すのです!!これが、本当にかわいいし、がんばれーーーーって思う。
赤ちゃんが海の水にたどり着いて、泳いでいる姿を見ると、心からがんばってと思っちゃいます。
弱い赤ちゃんが、しっかり海の中で泳いでいく姿って本当にすごいです。
生き残る亀は約1%だそうです。
でも、それは自然の摂理。強かったり、運が良かったりするものが生き残っていくので、私達は祈るしかできません。
ただ、保護した亀が、何年も、もしかしたら、百年以上も?生き残っているかもしれないと思うと嬉しいなぁ、って思います。
何百匹も皆で保護したので、何匹かは、いまでも海をゆうゆうと泳いでいると思います。
嬉しいなぁ
さて、
仕事の合間には、時々休みの日があって、
皆でハイキングに行ったり<メキシコといえば、サボテンですね~~>
海に遊びに行ったり、
一番右に写っているのがスイス人のダニエル。幼稚園の先生をしていて、私の面倒を良く見てくれました。なんでも、私に分かりやすく’’トモコ、今の分かった??って説明してくれたのです。優しい
テコマンに遊びに行ったり本当に、本当に楽しかったなぁ~
これを書いていて、また、行きたくなってきました。

この写真は、イタリア人のNicoと。クリスマスパーティーの準備です。
いまでも、メキシコのこのビーチの匂いと朝日の感じを覚えています。
経験って自分の中に何年も存在し続けます。
私は、こんなに楽しい思い出を作ることができて本当に幸せです。
2ヶ月後、皆が帰る日がやってきました。人によって、滞在を延ばしたり、他の町へ観光したり、すぐに国に帰ったり。
私は、1週間ほど時間があったので、銀の町タスコに行くことにしました。そして、メキシコシティに戻って、帰国です。
出発の日
イギリス人のWillはそのまま南米へ旅を続けるため南下していきました。
少し早めの出発だったので、見送りました。
彼は、いま、香港に住んでいます。
皆で帰りのバスを待つ~~、暑そう。暑かったっけ?・・・そう、メキシコの海岸では、昼間は40度、夜はマイナスか、0度くらいです。とっても、寒暖の差が激しかったです。おかげで、風邪引いて高熱出しました^^;
左(Nico)と右(面白いイギリス人Toby)と。私達はモレリアまで一緒で、それからおのおの別のルートでした。これは、最後のモレリアで。
私は銀の産地タスコへ!
銀が大好きだったので、たくさんジュエリーを買いました☆
今でも、心残りなのが、市場でハンモックが1200円で売られていたのを、買わなかったこと。生地がメキシコ風の色だったので、日本では買えません。
また、タスコにいくかは未知です。なので、それ以来、ほしいと思ったものは必ず買うことにしています。二度と来れないかもしれないから・・・。
そして、メキシコシティーへ!
これは、メキシコシティーの中心にある広場、ソカロ。
週末には市が立ちます。上の写真は切れちゃってるけど、私がヘナという植物の色素でタトゥーを入れてもらっています。
下の写真は男の子がタトゥーを入れてもらっているところ
ちょうど、メキシコシティに戻ったのが12月30日で1月2日まで滞在したので、新年をメキシコで迎えました。
新年のカウントダウンには皆がソカロに集まると聞いたので、宿泊先の日本人達と一緒に夜中に出かけていきました。
カウントダウン
3分前
2分前
1分
・
・
・
周りの教会の鐘が鳴ります~~~~!
1分後・・・

3分後・・・

あっちからも、こっちからも、違うところから 遅れて鐘が鳴り始めた~~~笑
いったい、いつが新年だったのか、分からないまま 皆で抱き合ったのを覚えています・笑
そして、無事に日本に帰国しました。
成田には両親が迎えに来てくれて、真っ黒になった私をみて、涙していました。
なんどか、現地から電話しましたが、やっぱり心配だったようですね
けど、やっぱり行ってよかったです。旅から帰ってきて、一回りも、二回りも成長したような気がしました。
自分にとっては、大きな冒険で、この旅で英語がかなり上達しました。
イギリス人の仲間がたくさんいたので・・・
ちなみに、このボランティア、2ヶ月滞在して当時220ドルでした。海外旅行で2ヶ月、ホテルに泊まったら結構な出費ですが、ボランティアで、滞在、食事がついて220ドルですばらしい経験ができるなら、本当に安いもんです。全てにおいて、お勧めの+αの旅ですよ
まだまだ、+αの旅があるので書きますね~!
読んでいただき、ありがとうございます

海ガメ達が泳いでいるのを想像しながら、寝ます☆